「大学2年生の頃、イギリスに1ヶ月ほど留学したことがあったんですが、よし、もっと英語を深めようと思って。イギリスには行ったから、今度はアメリカにしよう!(笑)
ただ、留学となると費用の面でどうしても親の援助が必要だったので、当時まだ対馬にいた両親に留学に関する資料を持って会いに行きました。最初は、もう大反対!「教員免許があるんだから、長崎に戻ってくればいいじゃないか」とか、説得しに行ったのに逆に説得されるような展開でした。それでも何日間か話し合い、1年間だけの留学で、帰国したら英語の教師になるから、という条件でようやく許してもらえたのです。最終的には、頑なだった父親が「行って来い」と背中を押してくれましたね。父も英語教師なのですが、留学ができなかったので、自分ができなかったことを私にさせたいと思ってくれたようでした」。
こうして、卒業後アメリカに渡り、語学をさらに磨くことにした工藤さん。実は、この留学で工藤さんは大きな出会いを経験します。
「アメリカの語学学校で、主人と出会ったんですよ(照)。彼は高校卒業で渡米して来ていたので、4つ年下。その頃は、1ドルが140円から150円位で、10万円の仕送りがあっても650ドル位しかならなくて。毎日ハンバーガーしか食べられないような生活でした」。
カリフォルニアの田舎町でホームステイをしながら勉強に励む生活は、あっという間に過ぎ去り、ご両親との約束だった1年を迎えた工藤さん。未来のだんな様になる恋人を残して帰国することを決めました。
「帰国時に、両親は「もっとアメリカにいたいんじゃないの?」と言ってくれたのですが、実際生活は苦しく、とは言えこれ以上、親に頼るわけにもいかないと思って一旦、福岡で就職したんです。彼とは、海を越えての超遠距離恋愛(笑)。電話代は1ヶ月6万円かかったこともありますし、今と違ってメールもない頃でしたから、ファックスを送ったり…。半年ほど経った時、もう一度アメリカに行きたい!と思うようになって。親に話すと「行くなら自分の力でどうぞ」(笑)。それからは、昼間は派遣で働いて、夜は居酒屋で走り回って…とにかく資金を貯めました。彼は「僕のために戻ってくるなら止めてくれ、自分の勉強のためなら戻っておいで」というスタンス。LAの翻訳と通訳の専門学校に通うことを決め、25歳で再渡米しました」。
自力での再渡米。もちろん、「恋の力」が大きく作用したことは言うまでもないのですが、それでもかつては、親の期待に応えることに注力していた少女が、自分の道を自分の足で歩き始めた証だったのです。
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