24歳の濱田さんを突然襲った悲劇。路面電車にはねられ、左足を巻き込まれるという大事故でした。
「ちょうど電停で降りて、横断歩道を渡ろうとした瞬間、ハッと気づいたらすぐ側まで電車が来ていたんです。ちょうど長崎くんちがあっていて街中が賑わっている最中で、そんな時の事故だったために、私にはもちろん自覚はなかったのですが、大騒ぎだったみたいですね。おかしなもので、はねられたということは分かっているんですけど、考えていることと言えば「あ〜これで親に色々と怒られるなぁ」とか「買い出しに行ってないな」とか、そういうことばかり(笑)。どれだけのケガかとか事故かとか、まったく分からなくて。後になって、左足は電車に巻き込まれてグチャグチャで、その上、顔面骨折、肋骨とかも折れていて、瀕死の重傷だったと知りました。今でも思います、よく生きてるな、って」。
命さえ危ういような大ケガを負った濱田さんでしたが、懸命な治療とご両親や当時つき合っていた恋人の支えもあり、危機を脱しました。
「とにかく痛くて痛くて、鎮痛剤や精神安定剤に頼る毎日でした。左足は最初、お医者さんが懸命に繋いでくれて切断はしていなかったんです。でも1ヶ月が経った頃、足先に血液が回らなくなっていて壊死し始めていて。とは言っても普段は包帯でグルグル巻きですから、私には今一つ実感がなかった。だから漠然と、「なんとか治るだろう」と希望的観測があったんです。そんなある日、婦長さんに「もうダメだから、切らないといけない。覚悟を持ってほしいから自分の目でちゃんと足を見てほしい」と。お医者さんが言うんだから、切らなきゃいけないんだろうな、とは思いましたけど、正直「足を失う」ということが、実感としては湧かなくて…。当時の恋人が「オレが支えていくから」と言ってくれていたし、家族もいたし、こんなにたくさんの支えがあるなら、きっと大丈夫だろうと、最終的には思いましたね」。
片足を失う、というあまりに過酷な現実に突如向き合わされた濱田さんでしたが、持ち前の前向きな姿勢でこの最大の試練を乗り越えようとしていました。
「私、ネアカだと思うんですよ(笑)。当時のことをあまりよく覚えてはいないんですが、恋人も支えてくれると言ったし、悲劇のヒロイン…ではないけどなんとか明るく生きていこう、生きていける!と思っていたのかな。ただ、母には随分と当たり散らしましたね。唯一の甘えられる存在だったから…母は辛かったと思います」。
全てを屈託のない笑顔で話してくれる濱田さん。辛い日々を明るく笑い飛ばせる強さをどうやって手に入れたのでしょうか。
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